かつて国際プロレスで活躍されたグレート草津さん(本名・草津正武さん)が21日午後、静岡県三島市内の病院で亡くなられました。享年66。
昨年5月に食道癌で入院し、その後、肺や肝臓に転移して闘病生活を送られていたそうです。
草津さんは八幡製鐵所(現・新日本製鐵)ラグビー部で全日本社会人選手権に優勝するなど活躍し、全日本代表メンバーにも選出。
1965年に退職して日本プロレスに入門し、プロレスラーに転向。
ジャイアント馬場の付き人を務め、翌66年にデビューするも直後に退団して国際プロレスの旗揚げに参加。
68年1月の国際プロレスの第1回目のテレビ放送(TBS)ではデビュー2年ながらメイン戦に抜擢され、ルー・テーズのTWWAヘビー級タイトルに挑戦した。
試合は3本勝負だったが、1本目にテーズのバックドロップを受けて失神し、そのままKO負けとなってしまった。
しかし、IWA世界タッグタイトルを通算9度獲得する等の活躍をした他、現場責任者や営業本部長などの、裏方の業務も行っていた。
また、日本人で初めてチェーン・デスマッチを行ったのも草津さんであった。
70年代にはヨーロッパやアメリカに多く遠征し、アメリカではAWAに参戦。
AWAミッド・ウェスト地区(ネブラスカ州)では、オックス・ベーカーと組んで同地区のタッグタイトルを獲得した他、71年9月にはAWAミッド・ウェスト・ヘビー級タイトルも獲得した。
更にバーン・ガニアの保持するAWA世界ヘビー級タイトルにも複数回挑戦するなど、海外での実績も作った。
71年12月にはガニアに勝利して、日本人初のAWA世界ヘビー級タイトルを獲得したかに思われたが、試合後に判定が覆り、反則裁定でタイトル奪取にはならなかった。
80年にアキレス腱を断裂し、翌81年の国際プロレス倒産を以って現役を引退した。
その後は静岡県内で一般の会社に就職し、役員をされていた様です。
以前、K−1で2代目グレート草津として活動していたのは、次男の賢治氏。
国際プロレスでは、ラッシャー木村、ストロング小林の2大エースの存在が大きかった為にタッグ屋とのイメージが強かった他、酒癖も悪かった事もあって、あまり高い評価は得られていないが、マサ・サイトーやグレート・カブキよりも先にアメリカで、しかもAWAで実績を残した事は、もう少し評価されても良いと思います。
謹んでご冥福をお祈り致します。







































